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神宮寺が士官学校に入ったのは、自分の意志からではなく、一番上の兄の勧めからだった。
彼はただ、父親の役に立ちたいか?と神宮寺に聞いただけだった。普段は疎遠で、ろくに会話もしない兄弟だったが、その一言に神宮寺は即座に食いついた。

神宮寺の家は、日本有数の財閥である。そこの三男として、神宮寺は生を受けた。母親は、神宮寺を産んで間もなく死んだ。母を深く愛していた父は、事実を受け入れることが出来ずに、神宮寺を憎むようになった。長男次男とは明らかに違う待遇や、産まれてこなければ良かったなどという存在の否定。それだけには留まらず、虐待は時に暴行にまで及んだ。
そんな父親であっても、神宮寺は認めて貰うための努力は惜しまなかった。人一倍勉強もしたし、スポーツにも精を出した。その他、思いつく限りのことにおいて、認められるためならばなんでもした。それでも、父親が憎しみ以外で神宮寺に関心を向けることはなかった。

そんな報われない努力にも嫌気が差してきた時に、兄から士官学校入学の話が舞い込んできた。陸軍の諜報部隊員の養成カリキュラムを受けるのだという。
神宮寺は当初それを断った。諜報部隊などに入れて、どうせいいように自身を利用することが目に見えているからだ。また、神宮寺は空軍に少し憧れていた。士官するのであれば空軍がよいとも考えていた。自由自在に空を翔る姿は華やかで、いつか自分もああしてみたいと、ほんの少しだけ、夢見たこともある。その夢を、忌々しい家に奪われては堪らない。
しかし、これは父が望んでいることだと兄が言うと、神宮寺は思わず息を飲んだ。
それが本当であれば、今度こそ父親に認めてもらえるかもしれない。例えそれが実現することは無くとも、その可能性を手にすることは出来る。おそらくその可能性も0に等しいだろうが、そんな蜘蛛の糸にすがる程度には、神宮寺は愛情に飢えていた。父親からの愛情が得られるのであれば、何をしたっていいとすら思った。


こうして神宮寺は諜報部隊員になることを決めたのだった。軍部と財閥を繋ぐための道具となることを選んだのである。兄は少しだけ悲しそうな顔をしていたが、神宮寺には、長男としての余裕からくる哀れみとしか映らなかった。
士官学校を終え、実際に軍に配属されると、神宮寺は諜報部隊員という特性を活かし軍部で得た情報を、財閥に流した。機密漏洩は大罪であったが、そんなものはどうでもよかった。軍部に対する忠義などは、全て自分の家に注いだ。表立って軍の命令に背くようなことはしないが、裏では家から下された命令を出来る限り優先する。そんなスパイのような行動も、全ては父に認められるため、自分が愛されたいがための行為であった。

だから、軍の為に死ぬわけにはいかない。家に尽くすことが出来なくなってしまう。その為には、どうしても生きなければならない。こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。


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「……ぜ、んぶ……はな、すよ……」

何度めかわからない脅迫で、ようやく神宮寺は口を開いた。散々殴られ、蹴られて、身体中ぼろぼろだった。何ヵ所か折れているのか、ろくに身体も動かせない。

「ただしいのは……っ、そっちのほう、だ……」
「ん?自分の情報を嘘だと認めるのか?」
「そうだ……。日時も、方角も、目的も……嘘だ……そっちが、ほんとうだ……」

神宮寺は、痛みに顔を歪めながら言いきった。呼吸すらまともに出来ず、浅い息を繰り返す。それを、男はただ冷淡な目で見下している。

「これで、まんぞくか……?」
「ああ。十分だ」

神宮寺は無理矢理口の端を持ち上げた。どんな状況であっても、不利な姿は見せたくないというプライドの表れである。

「だったらはやくっ……」
「そうだな」

男はゆっくり頷いたかと思うと、懐から拳銃を取り出す。そして仲間の兵士の眉間を、躊躇いなく撃ち抜いた。
突然のことに驚愕する神宮寺をよそに、仲間の死に唖然とする兵士たちの頭を悉く撃ち抜いていく。彼らは何が起こったのかろくに把握も出来ないまま、仲間であるはずの男に殺された。

「あっはー!びっくりさせちゃったかな?」

先程とはうってかわって、場違いな程明るい声で男は喋り出す。神宮寺はこの声を知っていた。まさかとは思いながらも、声の主を凝視する。
男が帽子を脱ぐと、栗色の髪が露になる。ウェーブのかかった肩くらいの長さの髪を、後ろに一まとめにして結っている。一見してとても純粋そうな目が、神宮寺を見据えていた。

「……っ!」
「レンレンおひさー!嶺二先輩だよっ!」

神宮寺は驚愕のあまり言葉を無くした。寿嶺二がそこにいた。さっきまでの冷酷そうな男はどこにもいない。その代わりに、底抜けに明るく、騒々しい男が口元に笑みを浮かべている。

「いやー、慣れない喋り方なんかするもんじゃないね!緊張しちゃってさぁ、噛み噛みにならないかすっごい不安だったんだからー!」
「……」
「でも不自然じゃなかったでしょ?レンレン全然気づいてなかったみたいだからさ!おにーさんの演技力に惚れちゃった?なんつって!ぷぷー!」
「なん、で……なんであんたが……」

神宮寺の声は震えていた。敵軍による拷問が、味方の手によって行われていた。何か陰で策謀が渦巻いていることを、嫌でも予感させる。

「ん?知りたい?」

寿はそんな神宮寺を見て、朗らかに微笑んだ。しかし、目は全く笑っていない。

「残念ながら、ドッキリではないんだなぁー」

そう言いながら、寿は右手に握る拳銃を神宮寺の眉間に突きつける。

「レンレンとお別れしにきたのさ」
「……!」

表面的な笑みも、無駄に明るい声音も、そこには既に無かった。恐ろしく冷たい声が、拳銃と一緒に容赦なく突きつけられる。神宮寺の顔から血の気が一気に失せた。

「レンレンがスパイしてたの、なんでバレちゃったと思う?」
「まさか……」
「そ。ぼくがチクったの」

寿は何でもないことのように、あっさり言ってのけた。その様子に、おぞましさすら感じる。

「レンレンって実はおうちの為に諜報やってるんでしょ。ぼくたちの秘密とか、お父さんに教えてるんだよね?」
「……っ!」
「何で知ってるかって?んもぅ、おバカさん!どんなに隠したってぼくにはバレバレだよ。特にレンレンは、何かぼくに似てるから、解っちゃうんだよね」

明るい口調とは裏腹に、声はとても冷たかった。

「はっきり言って、迷惑なんだよね、そういうことされるとさぁ。秘密を守れない子はここには要らないよ。だから、ぼくが軍のお偉いさんたちに教えてあげたんだ。そしたら、始末していいって言ってくれたからさ、こんなことしてみちゃったワケ」
「くっ……」

神宮寺は悔しそうに歯を食い縛った。これまでいいように利用しているつもりだったが、結局のところ、弄ばれていたのは自分だったらしい。
任務中、寿と接触しないよう言いつけられていたのは、この任務自体が完全なる罠だったからなのだろう。そうすることで、神宮寺が寿がどんな姿で任務に当たっているか認識することが出来なくなり、この作戦の決行に支障をきたすリスクが軽減される。軍事作戦に関する情報も、おそらくただのでっち上げで、わざわざ拷問まで設けたのは、徹底的に痛めつけて反撃を許さないため。かつ、死因をもっともらしく取り繕うことができるからだろう。もっとも、新兵器に関してだけは事実で、大体の情報が手に入ったところで処分することになっていたのだろう。

神宮寺は屈辱に表情を歪めた。寿への怒りもあったが、己の愚かさに腹が立って仕方なかった。結局自分は、家族からも、軍からも、いいように利用されただけではないか。

「そんな顔しないでよねー。『任務失敗のため、殉職』っていう形にしてあげただけでも十分優しいと思うけどなぁ。一応きみのおうちの会社、ぼくらに武器の提供とか開発とかしてくれてるみたいだし?そこの息子が裏切者として処分されちゃったら、武器とか貰えなくなっちゃいそうでいやだしね」

寿はそう言って笑うと、拳銃を構え直した。そこにはもう、冗談じみたものは一切無かった。眉間に照準の合った銃口を見て、神宮寺の目からは涙が零れた。自分なんかどうなったっていい、死んだって構わない、これまで散々そう思ってた筈なのに、いざ死に直面すると、未練が一気に押し寄せてくる。死にたくない。家の役に立ててない。まだ父親から認めて貰っていない。泣きたくなかったのに涙は止まらなかった。普段は泣きたくても泣けないくせに、こういう時だけ涙は止まらない。

「なんか言い残したことはあるかい?」
「……っく、」

嗚咽でうまく言葉が出ない。
実際何を言えばいいのかわからなかった。
感謝の言葉も、罵倒も、何も出てこない。最期を飾り立てるような麗句も浮かばない。
沸き上がってくるのは、激しい後悔と、生への執着だった。

「何も無いの?ちょっと寂しいなぁ」
「……」
「じゃあね、レンレン。きみみたいに有能な後輩ちゃんがこんなことになっちゃって、残念だよ」

寿は引き金に指をかけ、力を込めた。

「……しにたく、ない」

振り絞るように呟かれた言葉をかき消すように、銃声が3発、地下牢に響いた。静
寂が戻った時には、神宮寺は完全に絶命していた。

「生きてたって報われもしないのに。……ほんと、可哀想な子」

寿は、もう動かなくなった神宮寺を冷たい目で見下ろすと、この件が露呈して事が大きくなる前に、その場をあとにした。



彼の死亡が寿によって軍に伝えられたのは、この2日後のことであった。